1

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集132

 

()題目 29/41

 

寂日房御書 1394

 

 日蓮をたすけ給ふ事、今生(こんじょう)の恥をかくし給ふ人なり。後生(ごしょう)は又日蓮御身(おんみ)のはぢをかくし申すべし。昨日は人の上、今日は我が身の上なり。花さけばこの()みなり、よめ()のしゅうとめ()になる事候ぞ。信心おこ()たらずして、南無妙法蓮華経と唱へ給ふべし。

 

◆解説

 

①「今あなたが日蓮を助けている。それは、実はあなた自身の“恥(不幸)”を消してくれているのです」

 

大聖人をお守りし、お題目を信じて行動することは

「自分自身の悪い因縁や苦しみを清める善い行いになる」

という意味です。

 

「日蓮を助ける」というのは、

御本尊を大切にし、正しい信心を守ること を指しています。

 

②「後生では、日蓮があなたの“はじ(苦しみ)”を消してあげます」

 

つまり、

      今生(現世)では、あなたが信心によって自分の苦しみを軽くする

      後生(未来世)では、大聖人があなたを必ず救う

 

という、お互いの“助け合い”の関係を示しています。

 

 

③「昨日は人に起きたことも、今日は自分に起きる」

 

これは、

      他人の不幸や問題は、明日は自分の身にも起こる

      だからこそ、日頃から信心を忘れずに準備しておくことが大事

 

という教えです。

人生は常に変化し、何が起きるかわかりません。

 

④「花が咲けば必ず実がなる。嫁もいずれ姑になる」

 

このたとえは、

      原因(花)があれば、必ず結果(実)が出る

      立場も環境も必ず変わっていく

 

という「因果の道理」を示しています。

 

信心を続ければ、必ず良い結果が出る。

逆に怠れば、その結果もまた自分に返る。

 

という大事な道理を伝えています。

 

 

⑤「だから、信心を怠らず、お題目を唱えなさい」

 

最後は、とても大切な結びです。

 

どんな時でも、南無妙法蓮華経と唱える信心を続けなさい。

そこにこそ、現世の幸せと未来世の救いがある。

 

 

◆まとめ

      信心で大聖人を守る行いは、自分の悪因縁を消す大功徳。

      今はあなたが大聖人を守る立場、

未来世では大聖人が必ずあなたを守ってくださる。

      人の苦しみは明日には自分の身にも起こる。

      因果は必ず現れる。

      だからこそ、お題目を毎日、怠らず続けることが最も大切。

2

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集133

 

()題目 30/41

 

総勘文抄 14189

 

 五大種(ごたいしゅ)とも五薀(ごうん)とも五戒とも五常とも五方とも五智とも五時ともいふ。只(ただ)一物にて経経の異説なり、内典外典の名目(みょうもく)の異名(いみょう)なり。今経(ごぎょう)に之(これ)を開して、一切衆生の心中の五仏性、五智の如来の種子と説けり。是(これ)(すなわ)ち妙法蓮華経の五字なり。此の五字を以て人身の体を造るなり、本有常住(ほんぬじょうじゅう)なり、本覚(ほんがく)の如来なり。是を十如是と云ふ。此(これ)を唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)乃能究尽(ないのうくじん)と云ふ。

 

◆原文の要点

 

①「五大種・五蘊・五戒・五常・五方・五智・五時…

 

全部ちがう言い方だけれど、本当は同じ“1つのことを説明している」

 

仏教でも儒教でもインド哲学でも

「人間を支える大切な5つのはたらき」

を、それぞれ別の言葉で表しているということです。

 

つまり、

      五大種(地・水・火・風・空)

      五蘊(色・受・想・行・識)

      五戒(殺さない等の五つの戒)

      五常(仁・義・礼・智・信)

      五方(東西南北と中央)

      五智(五仏の智慧)

      五時(教えを五つに分けた分類)

 

などは、名前は違うけれど、

「人間の根本の働き」

を五つに分けて表したもの、ということです。

 

②「妙法蓮華経では、これを“一切衆生の心の中にある五つの仏になる力(五仏性・五智)だと説く」

 

大事なのはここです。

 

大聖人は、

 

すべての人の心の中に、五つの仏の智慧(=仏になる力)が本来そなわっている

 

と教えられています。

 

それを、法華経では

五仏性(五つの仏性)=五智如来の種子

と呼んでいます。

 

 

③「この五つの働きを“妙法蓮華経”の五文字にまとめた」

      

      

      

      

      

 

この五字こそが、

一切衆生の仏となる力を表す、根本の五つ

なのです。

 

だから大聖人は、

 

「この五字で人間の生命は形づくられている」

 

と説かれています。

 

④「この仏性は、もともと永遠に備わっている 本有常住、本覚の如来」

      本有常住…もともと eternally(永遠に)備わっている仏性

      本覚の如来…本来すでに覚っている仏の智慧

 

つまり、

 

私たちは本来、仏の生命を具えている。

それを呼び覚ますのが題目である。

 

という教えです。

 

 

⑤「これを“十如是”と言い、それは“唯仏与仏乃能究尽”として説かれる」

 

十如是とは、ものの本質を十の側面で表したもの。

「如是相・如是性・如是体…」の十項目です。

 

唯仏与仏乃能究尽とは、

 

「この深い生命の理法は、仏だけが悟りきることができる」

 

という、法華経の有名な一節です。

 

つまり、

 

人間の生命の深さは、仏にしか完全には理解できないほど尊い

 

その尊い生命の本質が、妙法蓮華経の「五字」に収まっている

 

という結論になります。

 

 

◆まとめ

      世の中の色々な「五つの分類」は、みんな“生命の根本の五つの働き”を示したもの。

      法華経では、それを

「五仏性・五智如来の種子=仏になる力」

と説く。

      その根本が、

「妙・法・蓮・華・経」の五字にすべて表れている。

      この五字こそ、もともと人間に備わる仏の生命(本覚・本有常住)。

      この深い理法は仏のみが完全に悟れる(唯仏与仏乃能究尽)。

 

3

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集134

 

()題目 31/41

 

内房女房御返事 1490

 

 皆(みな)名に徳を顕せば、今妙法蓮華経と申し候は一部八巻二十八品の功徳を五字の内に収め候。譬へば如意宝珠(にょいほうじゅ)の玉に万(よろず)の宝を収めたるが如し。一塵(いちじん)に三千を尽くす法門是なり。

 

 

◆本文のポイント

 

日蓮大聖人はここで、

「妙法蓮華経」という五つの字の中に、法華経一部八巻・二十八品すべての功徳が収まっていると教えられています。

 

 

◆説明

 

①「名前にそのものの力が宿る」

 

物には、その名前に力があらわれます。

例えば、「太陽」という言葉には、明るさ・温かさのイメージが自然と浮かびます。

同じように、妙法蓮華経という名前には、仏さまの悟りのすべてが宿っているという意味です。

 

 

②「五字の中に全ての功徳が入っている」

 

「妙法蓮華経」と唱えるだけで、

本来は八巻二十八品もある長い経典をすべて読んだのと同じ、

いやそれ以上の功徳があると説かれています。

 

これは「名前の力」が本体の全部を代表しているからです。

 

 

③「譬え:如意宝珠の玉」

 

大聖人は、わかりやすく 如意宝珠(なんでも願いを叶える宝の玉) にたとえています。

 

如意宝珠の中には、無数の宝物が全部おさまっている。

同じように、妙法蓮華経の五字には、すべての功徳がぎっしり詰まっている。

 

つまり、

題目は功徳の“かたまり”を一言に凝縮したもの

と理解すればよいです。

 

 

④「一塵に三千を尽くす法門」

 

これは一念三千の教えのことです。

      「一塵(小さなひと粒)」の中に宇宙法界=三千世間が収まっている

      つまり、一つの題目の中に、全仏法・全宇宙の法則が入っている

 

という深い意味を示しています。

 

 

◆まとめ

      妙法蓮華経という五字は、法華経全体の心を全部おさめた“宝の言葉”

      題目を唱えることは、長い経典を読むのと同じ功徳を一瞬で受けられる行

      その五字の中には、仏の悟り・一念三千がすべて含まれている

 

だからこそ、

南無妙法蓮華経と唱えることが、最高の行であり最大の功徳になる

と大聖人は教えておられるのです。

 

4

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集135

 

()題目 32/41

 

十八円満抄 1519

 

 総じて予が弟子等は我が如く正理を修行し給え。智者・学匠の身と為()りても地獄に墜ちて何の詮か有るべき。所詮時々念々に南無妙法蓮華経と唱うべし。

 

 

【解説】

 

大聖人様はここで、弟子に向かって次のように教えられています。

 

①「正しい修行をしなさい」

 

どれだけ頭が良くても、学問ができても、それだけでは救われません。

大聖人様が歩まれた“正しい信心の道(正理)”こそ大事なのだ ということです。

 

②「学問だけで偉くなっても意味がない」

 

どんなに賢くても、信心がなければ苦しみから抜け出せません。

知識よりも、正しい信心が人を幸せにする という深い指導です。

 

③「結論は、時々・念々にお題目を唱えなさい」

 

「時々念々」とは

いつでも、どこでも、心の中で南無妙法蓮華経を忘れない生活

という意味です。

 

つまり大聖人様は、

 

“迷う時も、苦しい時も、嬉しい時も、常にお題目を根本にしなさい”

 

と励ましておられるのです。

 

 

【まとめ】

      頭の良さより、信心を大事にしなさい。

      正しい教えに基づいて、まっすぐ信心を続けなさい。

      そのためには、毎日、お題目を習慣にすることが何より重要。

 

5日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集136

 

()題目 33/41

 

新池御書 1460

 

 此の経の信心と申すは、少しも私なく経文の如くに人の言用ひず、法華一部に背く事無ければ仏に成り候ぞ。仏に成り候事は別の様は候はず、南無妙法蓮華経と他事なく唱へ申し候へば、天然と三十二相八十種好を備うるなり。如我等無異(にょがとうむい)と申して釈尊程の仏にやすやすと成り候なり。

 

◆解説

 

■【経文の通りに、まっすぐに信じる心】

 

「此の経の信心と申すは、少しも私なく…」

──ここでいう信心とは、

自分勝手な考えや迷いをまぜないで、

法華経(南無妙法蓮華経)の教えをそのまま素直に受けとめる心

のことです。

 

■【人の言葉に流されず、法華経に背かない】

 

「人の言用ひず、法華一部に背く事無ければ」

──誰かの噂話や間違った意見に振り回されず、

法華経の教えに背かないで進むことです。

 

■【仏になる道は、とても簡単】

 

「仏に成り候事は別の様は候はず…」

──仏になるには特別な修行や難しい知識はいりません。

ただ南無妙法蓮華経と唱えることが、仏になる大道だと教えています。

 

■【お題目を唱えれば、自然に仏のすがたが備わる】

 

「天然と三十二相八十種好を備うる」

──お題目を唱え続けるうちに、

自然に仏の智恵や徳が身についてくる、

という意味です。

仏の「三十二相・八十種好」は、

仏の尊さ・完全さを表すしるしです。

 

■【釈尊と同じ仏になれる】

 

「如我等無異」

──「私と皆と異なること無し」

つまり、

 

釈尊とちっとも違わない仏になれる

それほど確かな道が「南無妙法蓮華経」なのだ

 

と大聖人は強く励ましておられます。

 

◆まとめ

      自分勝手な思いを入れずに

      人の言葉に流されず

      法華経の教えをそのまま信じて

      南無妙法蓮華経と唱えれば

そのまま仏に成ることができる。

 

大聖人は、

 

「難しい修行ではなく、ただ題目を唱えることが最大の修行だ」

と力強く示されています。

 

6日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集137

 

()題目 34/41

 

諫暁八幡抄 1539

 

 今日蓮は去ぬる建長五年四月二十八日より今年弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を日本国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり。此れ即母の赤子の口に乳を入れんとはげむ慈悲なり。

 

■本文の大意

 

「日蓮は、建長五年(法華経の立教開宗の日)から、弘安三年の今日まで、

ただ一つのことだけに全力を尽くしてきた。

それは 南無妙法蓮華経 の尊い題目を、日本中の人々の口に唱えさせたい、

その一心である。

これは、母が赤ちゃんに乳を飲ませようと懸命に世話するような、

深い慈悲の行いである。」

 

■ポイント

 

① 二十八年間、目的はただ一つ

大聖人が立宗(りっしゅう)されてからの二十八年間、

「南無妙法蓮華経を弘めること以外に、他の目的は何もなかった」

と断言されています。

 

どれほど迫害されても、流罪(佐渡)になっても、命をねらわれても、

一切の行動の中心は「一切衆生を救うための題目弘通(ぐづう)」です。

 

 

七字”“五字とは?

      七字=南無妙法蓮華経

      五字=妙法蓮華経

 

つまり、妙法の教えそのものを指します。

 

 

③ 母が赤子に乳を飲ませるような慈悲

赤ちゃんは自分で栄養を取る力がありません。

 

同じように、末法の衆生は自分の力だけで成仏の道を見つけられません。

だからこそ大聖人は、母が必死に赤子を育てるように、

題目を与え、成仏の道へ導こうとしてくださった。

 

このたとえによって、

大聖人の慈悲の深さと強さ(広大無辺の慈悲)

がよくわかります。

 

 

■まとめ

      日蓮大聖人は28年間、ただ一つ「南無妙法蓮華経を弘める」ことだけに命をかけた。

      それは、赤ちゃんにお乳を飲ませて育てようとする“母の慈悲”そのもの。

      題目を教え、唱えさせ、人々を救おうとする深い思いが、この御文に込められている。

 

7

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集138

 

()題目 35/41

 

三大秘法抄 15945

 

 題目とは二意有り。所謂(いわゆる)正像と末法となり。正法には天親(てんじん)菩薩・竜樹菩薩、題目を唱へさせ給ひしかども、自行計(ばか)り唱へてさて止()みぬ。像法には南岳・天台等は南無妙法蓮華経と唱へ給ひて、自行の為にして広く化他(けた)の為に説かず。これ理行の題目なり。末法に入って今日蓮が唱ふる所の題目は前代に異なり、自行・化他に亘(わた)りて南無妙法蓮華経なり。名体宗用教(みょうたいしゅうゆうきょう)の五重玄の五字なり。

 

◆要点

 

**「題目には時代によって3つの違いがある」**という教え

 

日蓮大聖人はここで「題目(南無妙法蓮華経)を唱えるといっても、時代によって役割が違う」と教えられています。

 

◆① 正法(しょうぼう)の時代

 

天親菩薩・竜樹菩薩が活躍した時代。

      この時代にも題目を唱える方はいた

      しかし、自分が悟りを深めるためだけ(自行)で終わった

      広く人に勧めるところまでは至らなかった

 

👉 自分だけの修行としての題目

 

 

◆② 像法(ぞうほう)の時代

 

南岳・天台大師の時代。

      やはり題目を唱えた

      しかしこれも 自行のためだけで、人に広める教えとしては説かなかった

 

👉 正法と同じく、理論上の題目、理の上の行

 これを大聖人は 「理行の題目」 と言われています。

 

 

◆③ 末法(まっぽう)の今の時代

 

ここが一番大事です。

      日蓮大聖人が唱えられた題目は、前の時代とまったく違う

      自分のため(自行)にも、人のため(化他)にも、広く唱え広める題目

      すべての人を成仏へ導くための、完成した題目

      「名(みょう)・体(たい)・宗(しゅう)・用(ゆう)・教(きょう)」という

五重玄の深い法門をすべて備えた“究極の題目”

 

👉 末法の衆生を救うための、完成された題目が南無妙法蓮華経である。

 

◆まとめ

 

時代 だれが唱えたか 特徴 大聖人の御判じ

 

正法 天親・竜樹 自分だけの修行 不完全

 

像法 南岳・天台 これも自分だけの修行 理行の題目

 

末法 日蓮大聖人 自行と化他の両方、救済の題目 五重玄を備えた 真実の題目

 

 

◆一言で言えば

 

昔の偉い僧も題目を唱えたが、それは自分を修行するためだけ。

末法に来た日蓮大聖人の題目は、すべての人を救うための完成した題目である。

 

★参考に

◆五重玄とは?

 

法華経を理解するための 五つの深いポイント のことです。

天台大師が示した教えですが、日蓮大聖人の「南無妙法蓮華経」には、この五つが全部そなわっていると説かれています。

 

 

◆① 名(みょう)

 

→ 名前の意味

      「南無妙法蓮華経」という名前そのものに、仏になるためのすべての力がこめられている、ということ。

 

👉 名前の時点で 最高の教えのエッセンス が入っている。

 

◆② 体(たい)

 

→ 中身そのもの

      名の「妙法蓮華経」が表している 真理そのもの が、この五字に収まっている。

 

👉 題目は 宇宙の真理=仏の悟り、そのもの を表す言葉。

 

◆③ 宗(しゅう)

 

→ この教えの中心・要(かなめ)

      数ある教えの中で、何が中心(根本)なのか。

      法華経の本当の中心(肝心)が「南無妙法蓮華経」である。

 

👉 題目こそ 仏になる道の中心。

 

 

◆④ 用(ゆう)

 

→ 働き・効果(功徳)

      題目を唱えると、どんな働きが出るのか。

      一切の罪は消え、福徳は満ち、成仏の因が顕れる。

 

👉 題目には 現実を変える力と、人を仏にする働き がある。

 

 

◆⑤ 教(きょう)

 

→ どの教えから出たのか(根拠)

      この題目は、釈尊の教えの中でどこに根拠があるのか。

      答えは 法華経の寿量品・方便品にすべて示されている。

 

👉 題目は 仏が説きたかった最終の教え に基づく。

 

 

◆まとめ

 

五重玄とは、題目の

 1. 名前(名)

 2. 中身(体)

 3. 中心の教え(宗)

 4. 功徳の働き(用)

 5. 経典としての根拠(教)

 

この5つがすべて揃っている、

という意味です。

 

◆一言で言うと

 

南無妙法蓮華経は、名前から中身、働き、根拠まですべてを完備した“究極の仏の教え”である。

 

8

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集139

 

()題目 36/41

 

御義口伝 1722

 

第二阿若憍陳如の事(序品七箇の大事)

    火の能作(のうさ)としては照焼の二徳を具(そな)ふる南無妙法蓮華経なり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るは生死(しょうじ)の闇を照し晴らして涅槃の智火明了(ちかみょうりょう)なり。生死即涅槃と開覚するを「照は則(すなわ)ち闇(やみ)生ぜず」とは云ふなり。

 

◆御義口伝(序品七箇の大事)

 

解説

 

大聖人様はここで、**「火のはたらき」**を例えにして、

南無妙法蓮華経を唱える功徳を教えておられます。

 

◆1 火には 二つの力 がある

 

御文にある「照焼(しょうやく)の二徳」とは、

 1. 照(てらす) 明るくする力

 2. 焼(やく) 悪いものを焼き尽くす力

 

という、火の二つの働きのことです。

 

◆2 お題目にも同じ二つの力がある

 

大聖人様は、

 

火の働きを完全にそなえたものが南無妙法蓮華経である

 

と仰せです。

 

つまり、お題目を唱えると――

 

①「照らす」功徳

 

迷いや悩み、不安など、

生死(しょうじ=生き死にの不安)という闇を明るく照らし出します。

 

②「焼く」功徳

 

過去からの罪や迷い、苦しみの原因を、

智火(ちか)=智慧の火によって焼き尽くします。

 

◆3 生死の闇が晴れて、涅槃の智慧が明らかになる

 

御文では、

 

「生死の闇を照らして晴らし、涅槃の智火明了なり」

 

とあります。

 

これは、

      お題目を唱えることで、

私たちの迷いや苦しみの闇が明るく晴れ、

      仏の智慧(涅槃の境界)が

はっきりと心に現れてくる

 

ということです。

 

◆4 「照は則ち闇生ぜず」の意味

 

最後の一句、

 

「照(てらす)はすなわち闇生ぜず」

 

とは、

 

光があれば、闇は生まれない

ということ。

 

つまり、

 

お題目の光が心にともると、迷いや不安は入りこむすき間がない

 

という、大聖人様の深い励ましです。

 

 

◆まとめ

 

南無妙法蓮華経は、火のように

**「照らす力」と「焼き尽くす力」**の二つを持っています。

 

私たちが毎日お題目をあげるとき、

その光が心の闇を照らし、

その智慧の火が迷いや苦しみを焼き尽くしてくれます。

 

だから大聖人様は、

 

お題目を唱える者は、生死はそのまま涅槃である

 

と断言されるのです。

 

9

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集140

 

()題目 37/41

 

御義口伝 1727

 

第二 諸仏智慧(しょぶっちえ)   甚深無量(じんじんむりょう)    其智慧門(ごちえもん)の事 (方便品八箇の大事)

 

 智慧とは一心の三智なり、門とは此の智慧に入る処の能入の門なり、三智の体とは南無妙法蓮華経なり、門とは信心の事なり。爰(ここ)を以て第二の巻に以信得入(いしんとくにゅう)と云ふ。入と門とは之れ同じきなり。今日蓮等の類(たぐい)南無妙法蓮華経と唱へ奉るを智慧とは云ふなり。

 

説明

 

この御文では、大聖人様が

“智慧とは何か” 智慧の門とは何か

を、法華経の立場から明らかにされています。

 

◆1 智慧とは「一心の三智(さんち)」のこと

 

大聖人様は、

 

智慧とは一心の三智なり

 

と仰せです。

 

三智とは――

 1. 一切智(すべての道理を知る智)

 2. 道種智(成仏の道を知る智)

 3. 一切種智(仏の最高の智慧)

 

これら三つの仏の智慧を、

本当は私たち一人ひとりの「一心」(心のいちばん深い所)にもそなわっている

という意味です。

 

◆2 その三智の“体”が南無妙法蓮華経

 

三智の体とは南無妙法蓮華経なり

 

つまり

南無妙法蓮華経そのものが、仏の最高の智慧の本体である

ということ。

 

だから、お題目を唱えることは、

仏の智慧そのものを口にしていることになります。

 

 

◆3 門とは「智慧に入るはたらき」=信心

 

門とは此の智慧に入る処の能入の門なり

門とは信心の事なり

 

“門”とは、

仏の智慧(三智)に入っていく入口

のこと。

 

その入口こそ、

信心

だと教えています。

 

 

◆4 だから経文に「以信得入」と説く

 

法華経第二巻には

 

以信得入(いしんとくにゅう)

 —「信を以(もっ)て入()ることを得()たり」

 

と説かれます。

 

つまり、

仏の智慧(妙法)に入るための唯一の道は、信心である

ということ。

 

御義口伝では、

 

入(にゅう)と門とは同じ

 

入口=信心

入る=信心によって入る

という意味ですから、二つは同一です。

 

◆5 お題目を唱えることが“智慧”そのもの

 

最後に大聖人様は、

 

今日蓮等の類 南無妙法蓮華経と唱え奉るを智慧とは云ふなり

 

と断言されます。

 

つまり、

      「智慧を持つ」とは、難しい知識を知ることではなく

      お題目を唱える信心の行為そのものが、仏の智慧そのもの

 

なのだという、極めて重要なお示しです。

 

 

◆まとめ

      仏の智慧(三智)は、私たちの一心にそなわっている。

      その智慧の“本体”が南無妙法蓮華経。

      その智慧に入る“門”は、ただ信心のみ。

      だから「以信得入」と説かれる。

      信心でお題目を唱えることこそ、仏の智慧に生きる姿である。

 

 

10日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集141

 

()題目 38/41

 

御義口伝 1739

 

第五 無上宝聚 不求自得の事(信解品六箇の大事)

 

 今日蓮等の類の心は、無上とは南無妙法蓮華経、無上の中の極無上なり。此の妙法を指して無上宝聚と説き玉ふなり。宝聚とは、三世の諸仏の万行万善の諸波羅蜜(しょはらみつ)の宝を聚(あつ)めたる南無妙法蓮華経なり。此の無上宝聚を辛労(しんろう)も無く行功(ぎょうく)も無く一言に受取るは信心なり。不求自得とは是なり。

 

◆解説

 

この御文で日蓮大聖人は、

「南無妙法蓮華経という題目こそ、最高の宝を集めた“宝のかたまり”である」

と教えられています。

 

●無上(むじょう)とは?

 

「これ以上のものがない」という最高の意味です。

大聖人は

 

無上の中の極無上とは南無妙法蓮華経である

と言われます。

 

つまり、題目は仏さまの中でも、教えの中でも、これ以上尊いものはないということです。

 

●無上宝聚(むじょうほうじゅ)とは?

 

「この上もない宝を集めたかたまり」という意味です。

 

ここでいう宝とは、

      過去・現在・未来の三世の諸仏が積んだ修行の功徳

      六波羅蜜などのあらゆる善行

      仏となる力すべて

 

こうした仏さまの功徳の総まとめが、

なんと 南無妙法蓮華経の五字の中に全部入っている これを「無上宝聚」と言うのです。

 

●では、そんな大きな功徳をどう受け取るのか?

 

大聖人は明快に言われます。

 

辛労もなく、行功もなく、一言に受け取るは信心なり。

 

むずかしい修行や特別な力は要りません。

ただ 素直に題目を信じ、南無妙法蓮華経と唱える。

その一言で、仏さまが積んだ無量の功徳を“そっくり受け取っている”のです。

 

 

●これが「不求自得(ふぐじとく)」

 

「求めなくても、自ずと得られる」という意味です。

 

「功徳をください」と求めなくても、

題目を信じて唱えるだけで、自然に功徳がわいてくる。

まさに信心の不思議な力を示したことばです。

 

 

◆まとめ

      題目は 最高中の最高 である

      三世の諸仏の宝の功徳が全部つまっている

      信じて唱えるだけで、その宝を丸ごと得られる

      これが「不求自得」=求めずとも得られる功徳

 

だからこそ大聖人は、

今日蓮等の類(我ら弟子檀那)の心は南無妙法蓮華経であるべし

と示されるのです。

 

11日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集142

 

()題目 39/41

 

御講聞書 18189

 

 今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生(りしょう)得益(とくやく)有るべき時なり。されば此の題目には余事(よじ)を交へば僻事(ひがごと)なるべし。此の妙法の大曼荼羅を身に持(たも)ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。

 

◆解説

 

「末法の今こそ、南無妙法蓮華経を広め、唱えることで最高の功徳が現れる時代である」

という教えです。

 

1)末法の今は「題目の時代」

 

御文には、

 

今末法は南無妙法蓮華経の七字を弘めて利生得益あるべき時なり。

 

とあります。

 

つまり

お題目(南無妙法蓮華経)こそ、すべての人を救い、幸せに導く力が最もはっきり現れる時代

ということです。

 

だから、私たちが題目を唱えることは、仏さまが一番よろこばれる正しい修行なのです。

 

 

2)題目に“余計なもの”を混ぜない

 

つづいて、

 

されば此の題目には余事を交へば僻事(ひがごと)なるべし。

 

と示されています。

 

題目の信心に、他の宗教・他の祈り・迷信・勝手な考えなどを混ぜてしまうと、力がにごってしまい、本来の功徳が出ない

ということです。

 

お薬に他のものを混ぜると効かなくなるように、

題目は純粋に、ただ南無妙法蓮華経と唱えることが大切

と教えています。

 

 

3)身に・心に・口に「妙法の大曼荼羅」

 

最後に、

 

此の妙法の大曼荼羅を身に持ち心に念じ口に唱へ奉るべき時なり。

 

と結ばれています。

 

これは、

      身(からだ)——大曼荼羅本尊をしっかり拝む生活

      心(こころ)——仏さまを信じ、感謝を忘れずに生きること

      口(くち)——南無妙法蓮華経と題目を唱えること

 

この身口意の三業による、三つの実践がそろったとき、

私たちの人生は必ずよい方向へ変わる

という励ましです。

 

 

◆まとめ

      末法の今は、題目がいちばん功徳をあらわす時代。

      題目に、ほかの考えや祈りを混ぜないことが大切。

      身に本尊を拝し、心に信心を持ち、口で題目を唱える――

 この三つの実践で、必ず幸せになれる。

 

12日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集143

 

()題目 40/41

 

御講聞書 1852

 

 「題目の五字末法に限つて持(たも)つべきの事」

仰せに云はく、経に云はく「悪世末法時(あくせまっぽうじ)、能持是経者(のうじぜきょうじゃ)」と。此の経とは題目の五字なり。能の一字に心を留(とど)めて之(これ)を案ずべし。末代悪世の日本国の一切衆生に持てと云ふ経文なり。

 

■要点

 

「悪世末法の時に、この経を持つ者あり」と経文に説かれている。

ここで言う「この経」とは、法華経すべてではなく、その肝心である題目(南無妙法蓮華経の五字)のこと。

特に「能(よく)持つ者」とある「能」の一字に注目せよ。

つまり末法の今、日本の一切衆生に、この題目を持ちなさいという教えである。

 

■説明

 

●①「末法の時代には題目を持ちなさい」と仏さまが直接言われている

 

法華経の中に

「悪世末法の時、この経をよく持つ者がいる」

と書かれています。

 

日蓮大聖人は、この「この経」とは

南無妙法蓮華経の題目そのもの

であると示されています。

 

なぜか?

法華経全体の心は「妙法蓮華経」の五字に集まっているからです。

 

●②「能持(よく持つ)」の“能”の字を大事にしなさい

 

御書はここで特に、

 

“能”の一字に心を留めよ

 

と注意を促しています。

 

“能”とは

**「よく・しっかりと・正しく」**という意味です。

 

つまり、

 

末法の世に生きる私たちが、正しく題目を受け持つことが大事だ

 

ということ。

 

 

●③日本の一切衆生に対する命令の経文

 

御書では続けて、

 

末代悪世の日本国の一切衆生に持てと言う経文である

 

と断言しています。

 

つまり、

      末法という、迷いや争いが満ちた時代

      特に日本に生まれた私たち

      そのすべての人に

題目を持ちなさい

 

という、仏さまのストレートな呼びかけが、この経文に込められているのです。

 

 

■まとめ

      法華経には「末法の時代には、この経をよく持つ人がいる」と書いてある。

      この「この経」とは、南無妙法蓮華経の五字のこと。

      “能持”の“能”は「よく・正しく」という意味だから、

私たちがしっかり題目を唱えることが大事。

      これは、末法の日本に生まれた人みんなに対する、

**仏さまからの指示(持ちなさい)**である。

 

13日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集144

 

()題目 41/41

 

御講聞書 1859

 

「法華経極理(ごくり)の事」

 

 本門の極理と云ふは「如来秘密(にょらいひみつ)、神通之力(じんずうしりき)の文是(これ)なり。所詮日蓮が意の云はく、法華経の極理とは南無妙法蓮華経是なり。一切の功徳の法門、釈尊の因行果徳の二法、三世十方の諸仏の修因感果(しゅいんかんか)、法華経の文々句々の功徳を取り聚(あつ)めて此の南無妙法蓮華経と成し玉へり。爰(ここ)を以て釈に云はく「総じて一経を結するに唯四のみ。其の枢柄(すうへい)を摂()って之を授与す」と。上行菩薩に授与し玉ふ題目の外(ほか)に法華経の極理は之無きなり云云。

 

◆御講聞書「法華経極理の事」

 

— 法華経のいちばん大事なところとは?

 

日蓮大聖人はここで、

「法華経の極理(ごくり)=いちばん深い真理」

とは何かを明らかにされています。

 

結論はただ一つです。

 

◆① 法華経の極理とは南無妙法蓮華経そのもの

 

大聖人は、

 

「法華経の極理とは南無妙法蓮華経なり」

 

と断言されています。

 

なぜかというと――

      仏さまのすべての修行

      仏さまが得たすべての智恵と功徳

      三世十方のすべての仏が歩んだ“悟りの道”

      法華経の文・句に込められた一切の功徳

 

これら全部を“一つに集めたもの”が、南無妙法蓮華経だからです。

 

つまり、

 

仏になる道の「最終形」「全部入り」が題目そのもの

 

ということです。

 

◆② 「如来秘密・神通之力」の文こそ本門の極理

 

法華経寿量品には、

「如来の秘密」「仏の神通の力」

という文があります。

 

これは、

 

仏さまの悟りの核心は、言葉では全部説明できないほど深い

しかし、その核心を“文字に表したのが題目である”

 

という意味です。

 

寿量品の深い悟りを、上行菩薩に託して、

「南無妙法蓮華経」として授けられた

—これが本門の極理です。

 

◆③ 「総じて一経を結するに唯四のみ」とは?

 

文中に引用される、

 

「総じて一経を結するに唯四のみ。其の枢柄を摂って之を授与す」

 

という言葉は、

 

「法華経という大きな教えのカギ(核心)は一つ。

その鍵を上行菩薩に授けたのが題目である」

 

という意味です。

 

カギ=南無妙法蓮華経

 

◆④ なぜ題目が極理なのか?

      経典を全部読まなくても

      難しい理論を理解できなくても

 

題目には 全部の功徳 が入っているからです。

 

たとえるなら、

 

八万の教えをすべて“一本の宝珠”にまとめたものが題目。

 

だからこそ、

 

題目を唱える信心こそ、仏になるまっすぐな道

 

と大聖人は教えられています。

 

◆まとめ

 

法華経のすべての功徳と、仏さまの悟りの核心。

それを一つに結晶させたものが「南無妙法蓮華経」です。

だから題目を唱えるだけで、仏と同じ境界へ向かうことができる。

これこそ法華経の極理であり、末法の私たちの成仏の根本です。

 

14日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集145

 

()戒 1/21

 

戒体即身成仏義 1

 

 第一に小乗の戒体とは四種有り。五戒は俗男俗女戒。八斎(はっさい)戒は四衆通用、二百五十戒は比丘(びく)戒、五百戒は比丘尼戒なり。而(しか)るに四種倶(とも)に五戒を本と為()す。

 

説明

 

◆まず、「小乗(しょうじょう)の戒体(かいたい)」とは?

 

小乗とは、出家して自分自身が悟りを開くことを目指す教えのことです。

ここでいう「戒体」とは、守るべき決まり(戒律)を保つことで身につく清らかな心のことです。

 

◆小乗の戒には4つある

 

日蓮大聖人は最初に、仏教で昔から守られてきた主な4種類の戒律を挙げています。

 

① 五戒(ごかい)

      一般の男女(在家の人)が守る戒。

      殺さない、盗まない、うそをつかない、みだらな行いをしない、酒を飲まない——の5つ。

 

② 八斎戒(はっさいかい)

      四衆(ししゅ)=在家の男女・出家の男女みんなが守れる戒。

      五戒に3つの戒を加え、特に1日だけ守ることもあった。

 

③ 二百五十戒(にひゃくごじっかい)

      出家した男性(比丘=僧侶)が一生守るべき戒。

 

④ 五百戒(ごひゃっかい)

      出家した女性(比丘尼=尼僧)が守る戒。

 

◆しかし、これら4つの戒には共通点がある

 

大聖人はこう言われます。

 

「しかるに四種ともに五戒を本と為す」

 

つまり…

 

◎どんな戒を守るにしても、根本は「五戒」である

      出家の人の二百五十戒や五百戒も、

      在家も出家も守れる八斎戒も、

 

どれも 五戒を土台として成り立っている のです。

 

まとめ

      小乗仏教には「五戒・八斎戒・二百五十戒・五百戒」の4種類の戒があった。

      それぞれ対象は違うけれど、すべての根本は五戒である。

      まず「戒とは何か」「戒の基本は五戒だ」という話から、「戒体とは何か」「即身成仏とどう関わるか」へと続いていく導入部分です。

 

15日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集146

 

()戒 2/21

 

戒体即身成仏義 6

 

第三に法華開会の戒体とは仏因仏果の戒体なり。唐土の天台宗の末学、戒体を論ずるに、或は理心を戒体と云ひ・或は色法を戒体と論ずれども、未だ梵網・法華の戒体の差別に委しからず。法華経一部八巻・二十八品・六万九千三百八十四字、一々の文字、開会(かいえ)の法門実相常住の無作の妙色に非ずといふこと莫し。此の法華経は三乗・五乗・七方便・九法界の衆生を皆毘盧遮那(びるしゃな)の仏因と開会す。

 

原文の主題

 

「法華経によって開かれた“最高の戒体”とは何か」

 

ここで大聖人は

「小乗の戒」「大乗の戒」よりもさらに深い、

**法華経によって明かされる仏になるための戒の根本”**を説明されています。

 

 

解説

 

①「法華開会の戒体」とは?

 

大聖人はこう言います。

 

“法華経によって開かれた戒体とは、仏の因と仏の果そのものを指す”

 

ここでいう

 • 仏因(ぶついん)=仏になる原因

 • 仏果(ぶっか)=仏になった結果

 

つまり、仏の境界(悟り)のすべてが《法華経の戒体》であるという意味です。

 

 

② 天台宗の後輩たちは、本当の戒体を理解していない

 

天台宗の後の学者たちは、戒体をこう説明していました。

 • 理心(りしん)=心の根本の理が戒体だ

 • 色法(しきほう)=形あるものが戒体だ

 

しかし大聖人は、

 

それでは浅い。

梵網経の戒と、法華経の戒の違いすら正しく理解していない。

 

と言われています。

 

つまり、法華経の戒体はそれほど深いものだということです。

 

 

③ 法華経の「一字一字」が、すべて戒体である

 

大聖人は、法華経の全体をこう見ておられます。

 

法華経一部八巻・二十八品・約七万字の

一つひとつの文字が、全て「無作の妙色(むさくのみょうしき)」である。

 

◆無作の妙色とは?

 • 作られたものではなく(無作)

 • 常に生きて働き(常住)

 • 仏の智慧・慈悲そのもの(実相)

 

要するに、法華経の文字=仏の命そのものということです。

 

 

④ 法華経は、すべての衆生をそのまま「仏の因」に開く

 

最後に大聖人はこう結ばれます。

 

法華経は、三乗・五乗・七方便・九法界のすべての人々を、

そのまま毘盧遮那(大日如来)の仏になる原因へと開き明かした。

 

◆つまりどういうこと?

 • どんな立場の人でも

 • どんな能力でも

 • どんな心でも

 

法華経を聞く・信じる・唱えるなら、

すべて“仏になる因”を持つことができる。

 

これが「法華開会の戒体」の究極の意味です。

 

 

まとめ

 • 法華経の教えは、仏になるための根本(仏因)と悟りそのもの(仏果)を開き示す。

 • だから、法華経そのものが最高の戒体

 • 経典の一字一字が、仏の命<無作の妙色>である。

 • すべての人を「そのまま仏になる原因」に開くのが法華経である。

 

16

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集147

 

()戒 3/21

 

戒体即身成仏義 10

 

 此の五戒を十界具足の五戒と知る時、我が身に十界を具足す。我が身に十界を具すと意得(こころう)る時「欲令衆生(よくりょうしゅじょう)仏之知見(ぶっしちけん)」と説いて、自身に一分の行無くして即身成仏するなり。

 

① 五戒とは何か

不殺生(ふせっしょう)、不偸盗(ふちゅうとう)、不邪淫(ふじゃいん)、不妄語(ふもうご)、不飲酒(ふおんじゅ)のことで、生命の尊厳や誠実な生き方を基本とし、日々の生活で心に留めるべき徳目です。

 

五戒とは

 • 殺さない

 • 盗まない

 • みだらな行いをしない

 • うそをつかない

 • 酒におぼれない

 

という、仏道の基本となる戒めです。

 

 

②「十界具足の五戒」とは?

 

普通に五戒を考えると、「悪いことをしない決まり」のように見えます。

しかし大聖人は、五戒をもっと深く見るのです。

 

五戒はただの道徳ではなく、

👉 地獄から仏界までの十界すべてを含んだ五戒

これを「十界具足の五戒」と言います。

 

 

③「我が身に十界を具足す」とは?

 

「十界具足」とは、

 

仏の世界も、迷いの世界も、すべてがこの自分の命の中にある

 

という意味です。

 

つまり

 • 仏になる種も

 • 迷いに落ちる原因も

 

全部、最初から自分の命の中に具わっていると知ることです。

 

 

④ それが分かると何が起こるのか

 

ここが一番大事です。

 

「我が身に十界を具す」と意得る時

「欲令衆生仏之知見」と説いて

 

これは、

 

「仏の智慧は、外からもらうものではなく、自分の中にある」

と目が開く、ということです。

 

これを

👉 仏の知見(仏のものの見方)に目覚める

と言います。

 

 

⑤ なぜ「行をしなくても即身成仏」なのか

 

普通は、

 • 修行をたくさんする

 • 長い時間かけて悟る

 

と思いますよね。

 

しかし大聖人はここで、

 

「自身に一分の行無くして即身成仏する」

 

と説かれます。

 

これは

修行しなくていい

という意味ではありません。

 

「仏になる原因は、すでに自分の命に具わっている」

と正しく信じ、目覚めること自体が成仏なのです。

 

 

⑥ まとめ

 

この御文の意味は――

 

五戒とは、ただ守る決まりではない

五戒を通して

「自分の命の中に仏界が具わっている」と知る時

その瞬間、即身成仏が決まる

 

という教えです。

 

 

⑦ 日蓮正宗の立場で言えば

 

この「知る」「目覚める」道が、

👉 南無妙法蓮華経を唱える信心です。

 

題目によって

仏の知見が我が身に現れる

これが「戒体即身成仏義」の結論です。

 

17日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集148

 

()戒 4/21

 

戒法門 12

 

(それ)人は天地の精、五行の端(たん)なり。故(ゆえ)に悟りあて直(なお)きを人と云ふ。心に因果の道理を弁(わきま)へて人間には生まれける由(よし)を知るべし。一代聖教(しょうぎょう)のおきて()には、戒を持(たも)ちて人間には生まるとおきて()たり。

 

【原文】

 

(それ)人は天地の精、五行の端(たん)なり。

(ゆえ)に悟りあて直(なお)きを人と云ふ。

 

意味

人間というのは、天地(宇宙・自然)の大切な働きが集まって生まれた、尊い存在である。

だから、道理を悟り、正しい生き方をする者を「人」と言うのである。

 

👉 ただ生きているだけではなく、

「正しいことがわかり、それを行おうとする心」があってこそ、真の人間なのです。

 

 

 

心に因果の道理を弁(わきま)へて

人間には生まれける由(よし)を知るべし。

 

意味

自分の心の中で、

「良い行いには良い結果、悪い行いには悪い結果がある」

という因果の道理を、よく理解しなさい。

 

そうすれば、

「なぜ自分は人間として生まれてきたのか」

という大切な意味が分かってくる。

 

👉 人間に生まれたのは、偶然ではなく、

過去からの因果による結果だということです。

 

 

一代聖教(しょうぎょう)のおきて()には、

戒を持(たも)ちて人間には生まるとおきて()たり。

 

意味

お釈迦様が一生をかけて説かれた仏教の教えには、

「戒(いましめ・正しい生き方)を守った者は、人間に生まれる」

と説かれている。

 

👉 人として生まれたということ自体が、

過去に戒を守り、正しい生き方をしてきた証なのです。

 

 

◆ まとめ

 

日蓮大聖人は、ここでこう教えられています。

 • 人間は、尊い存在である

 • 因果の道理を知り、正しく生きるために生まれてきた

 • 人間に生まれたのは、戒(正しい行い)を守った結果である

 

そしてこのあと大聖人は、

「末法において真実の戒とは何か」

という、法華経・御本尊・題目の戒法門へと進まれていきます。

 

つまり――

👉 末法の私たちが守る戒とは、南無妙法蓮華経を信じ、唱えること

という結論につながっていくのです。

 

18

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集149

 

()戒 5/21

 

戒法門 12

 

 五戒と申(もう)すは、一には慈悲を起こして物の命を殺さざる戒を不殺生戒(ふせっしょうかい)と名づく。道理なき殺生を制するなり。一を殺して万を生かすべきをば許すべし。二には盗みせざる戒を不偸盗戒(ふちゅうとうかい)と名づく。道理なき盗みの事なり。三には他人の妻を犯さざる戒を不邪淫戒(ふじゃいんかい)と名づく。四には妄語せざる戒を不妄語戒(ふもうごかい)と名づく。由(よし)なき事に妄語せざれとなり。五には酒を飲まざる戒、僻事(ひがごと)を制するなり。薬酒をば飲むべし。

 

【原文の趣旨】

 

日蓮大聖人はここで、

仏教で説かれる「五戒」とは何か、

またそれがむやみに厳しい決まりではなく、道理にかなった教えであることを示されています。

 

 

① 不殺生戒(ふせっしょうかい)

 

慈悲を起こして物の命を殺さざる戒

道理なき殺生を制するなり

一を殺して万を生かすべきをば許すべし

 

意味

命を大切にし、むやみに生き物を殺してはならない、という戒です。

 

ただし大聖人は、

「理由もなく殺すこと」を戒めているのであって、

道理にかなう場合まで否定してはいないと説かれます。

 

👉 たとえば

 • 病気を防ぐための処置

 • 生きるために必要な食事

 

などは、「一を殺して万を生かす」道理があるため、許されるとされています。

 

 

② 不偸盗戒(ふちゅうとうかい)

 

盗みせざる戒

道理なき盗みの事なり

 

意味

人の物を盗んではならない、という戒です。

 

ここでも大切なのは「道理なき」という言葉。

 

👉 自分の欲や楽のために、

人の物を勝手に取る心を戒めています。

 

 

③ 不邪淫戒(ふじゃいんかい)

 

他人の妻を犯さざる戒

 

意味

人の家庭を壊すような、みだらな行いをしてはならない、という戒です。

 

👉 自分の欲のために、

他人を苦しめたり、家族の信頼を壊すことを強く戒めています。

 

 

④ 不妄語戒(ふもうごかい)

 

妄語せざる戒

由なき事に妄語せざれ

 

意味

うそをついてはならない、という戒です。

 

ここでの「妄語」とは、

👉 自分の都合や利益のためにつく嘘のこと。

 

人をだましたり、信頼を壊す言葉を慎みなさい、という教えです。

 

 

⑤ 酒戒(不飲酒戒)

 

酒を飲まざる戒

僻事(ひがごと)を制するなり

薬酒をば飲むべし

 

意味

お酒を飲んで心を乱し、

間違った行い(僻事)に走ることを戒めています。

 

しかし、

👉 薬として必要な酒は飲んでもよい

と、きちんと道理を立てています。

 

 

◆ 大切なポイント

 

日蓮大聖人は、五戒を

 • がんじがらめの禁止

 • 人を苦しめる決まり

 

として説いているのではありません。

 

👉 人として正しく生きるための道理

👉 慈悲と智慧にもとづいた戒

 

として示されています。

 

そしてこのあと大聖人は、

末法の時代には、これらの戒を完全に守ることは難しい

と示し、

 

👉 南無妙法蓮華経を信じ、唱えることこそが、末法の真実の戒

という結論へ導かれていきます。

 

 

〔一言まとめ〕

 

五戒とは、人を縛る決まりではなく、

人が人らしく生きるための、慈悲と道理の教えである。

 

19日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集150

 

()戒 6/21

 

戒法門 15

 

 我等が眼は木より生ず。耳は水より生ず。鼻は金より生ず。舌は火より生ず。身は土より生ずるなり。上(かみ)の五行をもて五根の損ずるを知って、病の有()り様(さま)を知るべし。又五根の損ずるは、五戒の破るる故なり。

 

【原文】

 

我等が眼は木より生ず。

耳は水より生ず。

鼻は金より生ず。

舌は火より生ず。

身は土より生ずるなり。

 

意味

 

人の身体は、**自然界の五行(木・火・土・金・水)**と深く結びついている。

 • 眼(見る力)

 • 耳(聞く力)

 • 鼻(嗅ぐ力)

 • 舌(味わう力)

 • 身(体全体)

 

👉 人間の身体は、天地自然と切り離されたものではなく、

宇宙の働きそのものだと示されています。

 

 

(かみ)の五行をもて

五根の損ずるを知って、

病の有()り様(さま)を知るべし。

 

意味

 

この五行の道理をもって考えるならば、

五根(眼・耳・鼻・舌・身)が弱る理由、

つまり「病気がどうして起こるのか」が分かる、ということ。

 

👉 病は、偶然でも罰でもなく、

道理によって起こるという見方です。

 

 

又五根の損ずるは、

五戒の破るる故なり。

 

ここが一番大切です

 

意味

五根(身体や感覚)が損なわれるのは、

根本には五戒を破る生き方がある、と大聖人は説かれています。

 

👉 これは

「戒を破ったからすぐ病気になる」

という単純な話ではありません。

 

 

 

◆ 言い換えると

 

五戒とは、

 • 命を大切にする

 • 人の物を盗まない

 • 人を傷つける欲に流されない

 • 嘘をつかない

 • 心を乱す行いを慎む

 

という、心と行いを正す教えでした。

 

これを破るということは――

👉 心が乱れ、欲や怒りに振り回される

👉 生活が不規則になる

👉 人間関係が壊れ、悩みが増える

 

その結果として、

心身の調和(五行)が崩れ、病となって現れる

という道理を示しているのです。

 

 

◆ 日蓮大聖人の深いところ

 

大聖人は、

病の原因を

 • ただの身体の問題

 • 罰やたたり

 

とは見ません。

 

👉 心・行い・自然・因果が一体

という、仏法の立場から見ておられます。

 

そしてこのあと、戒法門はこう結ばれていきます。

 • 正像の時代 形の戒が大切

 • 末法の時代 形の戒は守りきれない

 

👉 末法において五根を正し、生命を清める根本の戒は

南無妙法蓮華経を信じ、唱えることである。

 

 

〔一言まとめ〕

 

人の身体は天地の働き。

心と行いが乱れれば、

その乱れは必ず、身に現れる。

 

20日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集151

 

()戒 7/21

 

戒法門 19

 

 此の五戒に様々の功徳を備へて、戒として摂(しょう)せずと云ふことなしと説き給ふ。此の五戒を根本として大乗の諸戒も具足するなり。故に此の五戒をば具足根本業清浄戒(ぐそくこんぽんごうしょうじょうかい)と名づくるなり。此の五戒若し破れつれば一切の諸戒皆破る。五戒は破るといへども、大乗戒は持ちたりと云ふ事は之無し。根本戒と名づくるは此の故なり。

 

 ここは戒法門のまとめに当たる、とても大切な御文です。

 

【原文の骨子】

 

この御文で日蓮大聖人は、

 • 五戒は、ただの初歩の戒ではない

 • あらゆる戒の土台・根っこである

 • だから五戒が崩れれば、他の戒もすべて崩れる

 

ということを、はっきり示されています。

 

一文ずつ、やさしく説明します

 

 

此の五戒に様々の功徳を備へて、

戒として摂(しょう)せずと云ふことなしと説き給ふ。

 

意味

この五戒には、いろいろな功徳(良い働き)がすべて備わっていて、

仏教の戒の中で、含まれないものは一つもない

と説かれている。

 

👉 五戒は「一部の戒」ではなく、

戒のエッセンス全部が詰まった教えなのです。

 

 

 

此の五戒を根本として

大乗の諸戒も具足するなり。

 

意味

五戒を土台にしてこそ、

菩薩戒などの大乗仏教のすべての戒も、完全に成り立つ。

 

👉 土台がしっかりしていなければ、

その上にどんな立派な戒も成り立たない、という道理です。

 

 

 

故に此の五戒をば

具足根本業清浄戒と名づくるなり。

 

意味

それゆえ、この五戒を

「具足根本業清浄戒」

――すべての戒を具えた、根本の、行いを清らかにする戒

と名づけるのである。

 

👉 難しい言葉ですが、一言で言えば

**「いちばん大事な元の戒」**という意味です。

 

 

 

此の五戒若し破れつれば

一切の諸戒皆破る。

 

意味

もし五戒が破れてしまえば、

他のどんな戒も、すべて破れたことになる。

 

👉 根っこが腐れば、枝や葉が元気でも意味がない、ということです。

 

 

 

五戒は破るといへども、

大乗戒は持ちたりと云ふ事は之無し。

 

意味

「五戒は守れないけれど、

大乗の立派な戒は守っています」

ということは、決してありえない。

 

👉 日蓮大聖人は、ここをはっきり否定されています。

 

 

 

根本戒と名づくるは此の故なり。

 

意味

五戒を「根本戒」と呼ぶのは、

この理由があるからである。

 

◆ ここで大切な仏法の考え方

 

大聖人が言われたいのは、

 • 形式的に戒を守っているか

 • 難しい戒律を知っているか

 

ではありません。

 

👉 人としての基本の生き方が整っているか

👉 心と行いが正しい方向に向いているか

 

その基準が、五戒なのです。

 

 

◆ そして戒法門の結論へ

 

ここまでで大聖人は、

 • 五戒は最も大切な根本戒

 • しかし末法の衆生には、完全に守ることは難しい

 

という前提を整えられました。

 

そして最終的に、

 

👉 末法において、一切の戒を具足する根本の戒とは何か

👉 それは、南無妙法蓮華経を信じ、唱える戒である

 

という結論へ導かれていきます。

 

 

 

〔一言まとめ〕

 

五戒は、すべての戒の根っこ。

根っこが正しければ、

すべての行いは自然に正しくなる。

 

 根本の戒は、南無妙法蓮華経(御本尊)を信じ、お題目を唱える戒(金剛法器戒)です。

21

 

日蓮大聖人御金言義類別入文集152

 

()戒 8/21

 

十法界明因果抄 207

 

 人間に生ずること過去の五戒は強く、三悪道の業因は弱きが故に人間に生ずるなり。

 

 この御文は、**「なぜ人間として生まれてきたのか」**という因果の道理を説いています。

 

原文の意味

 

人間に生ずること過去の五戒は強く、三悪道の業因は弱きが故に人間に生ずるなり。

 

これは、

 

「過去世で五戒を守る因が強く、地獄・餓鬼・畜生に堕ちる因が弱かったため、人間として生まれた」

 

という意味です。

 

ポイント

 

① 五戒とは何か

五戒とは、人としての基本的な善行です。

      不殺生(むやみに命を奪わない)

      不偸盗(盗まない)

      不邪淫(みだらな行いをしない)

      不妄語(うそをつかない)

      不飲酒(心を乱す行いをしない)

 

これらを完全でなくても、ある程度守った因がある人は、人間界に生まれる因をつくります。

 

② 三悪道の業因とは

三悪道とは、

      地獄

      餓鬼

      畜生

 

これらに堕ちる原因となる、強い悪業のことです。

 

この御文では、

**その悪い因が「弱かった」**ため、三悪道に堕ちずにすんだ、と言っています。

 

まとめ

 

👉 善い因(五戒)が悪い因(三悪道)より勝っていた

👉 だから 人間として生まれることができた

 

という因果の説明です。

 

 

信心の立場からの大事な意味

 

日蓮大聖人は、

人間に生まれたこと自体が、すでに大きな功徳であり、

この身で 南無妙法蓮華経を唱えられることは、無量の善根の上に成り立っている

と教えられています。

 

ですから、

 

「人間に生まれた今こそ、題目を唱えて仏界を開く」

 

ここに、この御文の深い意義があります。

 

一言まとめ

 

「人として生まれたのは、過去に少しでも善い行いをしたから。だから今世でお題目を唱えることが大切」

 

となります。

 

 

22

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集153

 

()戒 9/21

 

十法界明因果抄 213

 

 二乗の不殺生戒は、永く六道に還(かえ)らんと思はず。故に化導の心無し。また仏菩薩と成らんと思はず、但(ただ)灰身滅智(けしんめっち)の思ひを成すなり。譬へば木を焼き灰となしての後に一塵(いちじん)も無きが如(ごと)し。故に、此の戒をば瓦器(がき)に譬ふ。

 

① この文の立場(だれの話か)

 

ここでいう**「二乗」**とは

👉 **声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)**のことです。

 

つまり、

      自分だけが迷いを離れて

      早く苦しみから逃れたい

 

という修行の立場を指しています。

 

 

② 「不殺生戒」は守っているが

 

二乗の人たちも**殺さない戒(不殺生戒)**は守ります。

しかし大聖人は、その心の向きを問題にされています。

 

文の意味

 

永く六道に還らんと思わず。

故に化導の心無し。

 

👉

      「もう六道(迷いの世界)には戻りたくない」

      「苦しんでいる人を救うために戻ろう」とは思わない

 

つまり、

他人を救う気持ち(化導の心)がないということです。

 

 

③ 仏にも菩薩にもなろうとしない

 

また仏菩薩と成らんと思わず、

ただ灰身滅智の思いを成すなり。

 

これはとても大事なところです。

 

灰身滅智(けしんめっち)とは?

 

👉

      体も心も消してしまいたい

      何も感じず、何も考えない境地を目指すこと

 

つまり、

      仏のように人を救おうともしない

      菩薩のように衆生のために働こうともしない

 

「自分が苦しくなければそれでいい」

という生き方です。

 

 

④ たとえ話:焼いた木と灰

 

譬えば、木を焼き灰となしての後に一塵も無きがごとし。

 

🔥木を燃やすと

→ 灰になり

→ 風が吹けば何も残らない

 

これは、

      生命の働き

      人を救う力

      仏になる可能性

 

すべてを自ら消してしまう姿を表しています。

 

 

⑤ なぜ「瓦器(がき)」なのか

 

故に、この戒をば瓦器に譬う。

 

瓦器とは?

 

👉 土で作った、安くて割れやすい器

 

意味は、

      一見、戒を守って立派そう

      しかし大きな功徳を受け止められない

      仏界の大生命を入れる器ではない

 

ということです。

 

 

⑥ 大聖人が教えたい本当のこと

 

この文は

「二乗を責めるため」ではありません。

 

👉

法華経の戒・題目の戒は違う

と教えるためです。

 

法華経の戒とは、

      六道にあえて生まれ

      人を救い

      自分も仏になる戒

 

つまり

南無妙法蓮華経を唱えて生き抜く戒です。

 

 

⑦ まとめ

      二乗の戒は「自分だけ助かる戒」

      人を救わず、仏にもならない

      だから瓦器のように小さい

      法華経の戒は「人も自分も仏にする戒」

 

 

「逃げる修行(自分だけ)か、生き抜く信心修行(自他ともに)かの違いです」

 

23日

 

日蓮大聖人御金言義類別入文集154

 

()戒 10/21

 

十法界明因果抄 213

 

 饒益(にょうやく)有情戒(うじょうかい)を発()こして此の戒を持するが故に、機を見て五逆十悪を造り同じく犯せども此の戒は破れず、還って弥(いよいよ)戒体を全くす。故に瓔珞経(ようらくきょう)に云はく「犯すこと有れども失せず、未来際を尽くす」文。故に此の戒をば金銀(こんごん)の器に譬ふ。完(まった)くして持する時も破する時も永く失せざるが故なり。

 

① ここで説かれる戒は何か

 

この段で説かれているのは

**「饒益有情戒(にょうやくうじょうかい)」**です。

 

饒益有情戒とは

 

👉

      「饒益」= 豊かに利益する

      「有情」= 生きとし生ける人々

 

つまり

一切衆生を救うために生きる戒

です。

 

これは

声聞・縁覚の戒ではなく

仏・菩薩の戒

法華経の戒

 

を指しています。

 

 

② 「発こして此の戒を持する」とは

 

饒益有情戒を発こして此の戒を持するが故に

 

「発こす」とは

👉 決心する・誓いを立てるという意味です。

 

つまり、

      「自分だけ助かるのではなく」

      「どんな人も救う」

      「仏になる道を歩む」

 

と本気で決めて信心することです。

 

③ 重大な罪を犯しても「戒が破れない」とは?

 

機を見て五逆十悪を造り同じく犯せども此の戒は破れず

 

ここは誤解しやすい所なので、大事に説明します。

 

五逆十悪とは

 

👉 仏教で説かれる最も重い罪

 

しかし、これは

「罪をしてもよい」

という意味では決してありません。

 

意味はこうです

      人を救うため

      正法を守るため

      深い慈悲の立場から

 

一時的に世間的な戒を犯す姿になっても、

その根本に

👉「衆生を救う誓願」

👉「仏になる心」

がある限り、

 

戒体(生命の根本の戒)は壊れない

ということです。

 

 

④ 逆に「戒体がいよいよ全くなる」

 

還って弥(いよいよ)戒体を全くす

 

👉 失われるどころか

👉 ますます深く、強くなる

 

なぜなら、

      苦しみの中にいる人と同じ立場に立ち

      共に悩み

      共に南無妙法蓮華経を唱える

 

そこに

仏の生命の働きが現れるからです。

 

 

⑤ 瓔珞経の文の意味

 

「犯すこと有れども失せず、未来際を尽くす」

 

 

「たとえ過ちがあっても消えない」

「未来永劫(みらいえいごう)にわたって続く戒である」

 

ということです。

 

これは

題目の戒・法華経の戒の特徴です。

 

 

⑥ なぜ「金銀の器」なのか

 

故に此の戒をば金銀の器に譬ふ

 

金銀の器の特徴

      割れにくい

      錆びない

      何度壊れそうになっても価値が失われない

 

つまり、

      持っても

      破ったように見えても

      永遠に失われない戒

 

だから

👉 「完くして持する時も、破する時も永く失せざる」

 

のです。

 

⑦ 前段(12/12 二乗の戒)との対比まとめ

 

二乗の戒

自分だけ助かる

灰身滅智(消える)

瓦器

破れれば終わり

 

法華経の戒

皆を救う

生き抜いて救う

金銀の器

破れても失われない

 

⑧ まとめ

 

この御文の結論は、

 

題目を根本とする信心は、転んでも終わらない

苦しみの中でこそ、仏の戒が働く

 

ということです。

 

「法華経の戒は、失敗する人をも包み、立ち上がらせる戒です。」

 

24日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集155

 

()戒 11/21

 

十法界明因果抄 213

 

 仏界とは、菩薩の位において四弘誓願(しぐせいがん)を発(おこ)すを以て戒と為()す。三僧祇(そうぎ)の間六度万行を修し、見思(けんじ)・塵沙(じんじゃ)・無明(むみょう)の三惑を断尽(だんじん)して仏と成る。

 

 

 仏界とは、菩薩の位において四弘誓願を発すを以て戒と為す。

 

意味

 

仏界とは、

👉 菩薩の立場に立って

👉 四弘誓願を立てること自体が戒である

という考えです。

 

四弘誓願とは

 1. 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへん せいがんど)

 ― どんな人も必ず救う

 2. 煩悩無尽誓願断

 ― 煩悩を断とうと誓う

 3. 法門無量誓願学

 ― 仏の教えを学び尽くす

 4. 仏道無上誓願成

 ― 必ず仏になる

 

👉 「人を救う誓い」そのものが戒だ、ということです。

 

 

② 次の文:とても長い修行の道

 

三僧祇の間六度万行を修し、

 

三僧祇(さんそうぎ)とは

 

👉 気の遠くなるほど長い時間

(数えきれないほどの長劫)

 

六度万行とは

      六度:布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧

      万行:数えきれない善行

 

つまり、

👉 果てしなく長い時間、あらゆる修行を積む

という意味です。

 

③ 三つの迷いをすべて断つ

 

見思・塵沙・無明の三惑を断尽して仏と成る。

 

三惑とは

 1. 見思惑

 → 物の見方・考え方の迷い

 2. 塵沙惑

 → 物事を細かく知らない迷い

 3. 無明惑

 → 根本の暗さ、仏になれない原因

 

👉 これらを完全に断ち切って、はじめて仏になる。

 

④ ここまでが「仏教一般」の仏界観

 

この説明は、

      天台・法華経以前の教え

      いわゆる 「因を積んで、後で仏になる」

という立場です。

 

つまり、

👉 仏界=遠いゴール

 

 

⑤ では、なぜ大聖人はこれを書かれたのか

 

ここが大切です。

 

大聖人は

この考え方を「最終結論」として書いていません。

 

この後の流れで、

 

👉

      それは正像の修行

      末法の凡夫には不可能

 

であることを明らかにし、

 

末法の仏界とは何かを示されます。

 

 

⑥ 大聖人の結論

 

法華経・御本尊・題目の立場では、

      三僧祇の修行をしなくても

      三惑を断ち切れなくても

 

👉 南無妙法蓮華経を信じ唱えるところに、すでに仏界が現れる

 

これが

**「因即果」「即身成仏」**です。

 

⑦ まとめ

 

この御文は、

 

「昔の仏教では、仏になるにはこれだけ大変だった」

 

という説明です。

 

そしてその上で、

 

「だからこそ、末法には南無妙法蓮華経が必要なのだ」

 

と教えるための一段なのです。

 

 

一言まとめ

 

「昔は、仏になるのは気の遠くなる修行の先でした。

でも今は、題目を唱える一念に仏界が具わります。」

 

25日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集156

 

()戒 12/21

 

十法界明因果抄 214

 

 二乗は此等(これら)の報恩皆欠けたり。故に一念も二乗の心を起こすは十悪五逆に過ぎたり。一念も菩薩の心を起こすは一切諸仏の後心の功徳を起こせるなり。已上四十余年の間の大小乗の戒なり。

 

① まず、全体の結論から

 

この御文で大聖人が言いたいことは、はっきりしています。

 

👉

「心の向き」こそが、最も重い因果を決める

ということです。

 

 

② 「二乗は此等の報恩皆欠けたり」とは

 

ここでいう**「此等の報恩」**とは、直前まで説かれてきた

      衆生への報恩

      父母への報恩

      国王・社会への報恩

      仏への報恩

 

つまり、

👉 人のために生きる心

👉 恩に報いる生き方

 

を指します。

 

ところが二乗は、

      自分だけ解脱したい

      六道に戻りたくない

 

という立場なので、

報恩の心が欠けているとされます。

 

 

③ なぜ「一念も二乗の心」は重罪なのか

 

故に一念も二乗の心を起こすは十悪五逆に過ぎたり。

 

とても強い言い方ですね。

 

意味はこうです

      十悪五逆は「行いの罪」

      しかし二乗の心は

👉 人を救おうとしない心

 

大聖人は、

👉 仏になる道を自ら閉ざす心

👉 衆生を見捨てる心

 

を、最も重く見ておられるのです。

 

だから、

一瞬でも「自分だけ助かればいい」と思う心は、

外から見える大罪以上に重い、と説かれます。

 

 

④ 反対に「菩薩の心」とは

 

一念も菩薩の心を起こすは一切諸仏の後心の功徳を起こせるなり。

 

菩薩の心とは

 

👉

      自分が苦しくても

      人の幸せを願う

      人を救おうとする心

 

その一瞬の発心が、

 

👉 過去・現在・未来のすべての仏と同じ心

👉 仏が成仏した「最後の一念」と同じ功徳

 

を呼び起こす、という意味です。

 

 

⑤ 「後心の功徳」とは

 

**後心(ごしん)**とは

👉 仏が成仏を完成させた最後の心。

 

つまり、

      仏と同じゴールの心

      仏界そのものの心

 

それが

凡夫の一念に現れる

と説いているのです。

 

 

⑥ 「四十余年の間の大小乗の戒」とは

 

已上四十余年の間の大小乗の戒なり。

 

これはまとめの言葉です。

 

意味は、

👉

釈尊が成道してから法華経を説くまでの四十余年

👉 その間に説かれた

      小乗の戒

      大乗の戒

 

これらを総括した説明が、ここまでの話だ、ということです。

 

 

⑦ 大聖人の本当の狙い

 

ここまで読むと、

      二乗はだめ

      菩薩は立派

 

という話に見えますが、

最終目的は別です。

 

👉

末法の私たちが起こすべき「一念」

を教えることです。

 

それは、

      出家でもなく

      難しい修行でもなく

 

👉 南無妙法蓮華経と唱える一念

 

ここに

菩薩の心・仏の心が具わる

と大聖人は示されています。

 

 

⑧ まとめ

 

この御文の核心は、

 

行いよりも、心の向きが重い

自分だけの心は最重罪

人を救う一念は仏の功徳

 

ということです。

 

 

一言

 

「一瞬の心が、地獄にも仏にも通じます。

だから今日も、誰かの幸せを願って題目を唱えましょう。」

 

 

26日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集157

 

()戒 13/21

 

十法界明因果抄 214

 

 法華経の戒と言ふは二有り。一には相待妙(そうたいみょう)の戒、二には絶待妙(ぜったいみょう)の戒なり。

 

① まず全体の結論

 

大聖人はここで、

 

👉 法華経の戒には二つのレベルがある

 

と教えられています。

 

それが

      相待妙(そうたいみょう)の戒

      絶待妙(ぜったいみょう)の戒

 

です。

 

 

② 「妙」とは何か

 

「妙」とは

👉 比べてすぐれている

👉 凡夫を仏にする力がある

という意味です。

 

 

③ 相待妙の戒とは(比べて勝れている戒)

 

意味

 

他の戒と比べて、より勝れている戒

 

具体的には

      蔵・通・別・円の中の

      円教としての戒

      菩薩戒

      六度万行

      四弘誓願を立てて生きる戒

 

つまり、

👉 まだ修行の積み重ねが前提

 

の戒です。

 

たとえ

 

🌱 苗を育てて、いずれ実がなる戒

 

 

④ 絶待妙の戒とは(比べる必要のない戒)

 

意味

 

他と比べる対象がない、究極の戒

 

👉 もう

      小乗か大乗か

      修行が浅い深いか

 

を問題にしません。

 

何を戒とするのか

 

👉 南無妙法蓮華経そのもの

      受けた瞬間

      唱えた瞬間

 

その一念に

戒・定・慧がすべて具わる

 

これが

末法の戒

即身成仏の戒です。

 

たとえ

 

☀️ 太陽が出れば、比べる光がいらない

 

 

⑤ なぜ二つに分けるのか

 

大聖人は、

      仏教の教えを正しく整理し

      末法の私たちが迷わないように

 

この二つをはっきり分けられました。

 

👉

正像の修行者には相待妙

末法の凡夫には絶待妙

 

という整理です。

 

 

⑥ ひとことでまとめ

 

この一文の意味は、

 

法華経の戒には、努力で近づく戒と、信で即入る戒がある

 

ということです。

 

 

 

一言

 

「比べて勝れる戒が相待妙。

比べる必要のない究極の戒が絶待妙。

末法の私たちは、題目という絶待妙の戒に生きます。」

 

 

 

27日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集158

 

()戒 14/21

 

十法界明因果抄 2145

 

 相待妙の戒とは、四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して爾前(にぜん)を麤戒(そかい)と云ひ法華経を妙戒と云ふ。諸経の戒をば未顕真実の戒・歴劫(りゃっこう)修行の戒・決定(けつじょう)(しょう)の二乗の戒と嫌ふなり。法華経の戒は、真実の戒・速疾頓成(そくしつとんじょう)の戒・二乗の成仏を嫌はざる戒等を相対して麤妙を論ずるを相待妙の戒と云ふなり。

 

ここは**「相待妙の戒とは何か」**をはっきり定義している大事な段です。

 

 

① まず結論を一文で

 

相待妙の戒とは、

 

👉 他の経の戒と比べて(相対して)、法華経の戒を「妙」と立てる説明のしかた

 

です。

 

 

② 「相待」とはどういう意味か

 

**相待(そうたい)**とは

👉 比べることです。

      ABを比べて

      Aは劣る(麤)

      Bはすぐれている(妙)

 

と分ける立場です。

 

 

③ 何と何を比べているのか

 

四十余年の大小乗の戒と法華経の戒と相対して

 

四十余年の大小乗の戒とは

 

👉 釈尊が法華経を説く前に説いた、すべての戒

 

これをまとめて

爾前(にぜん)の戒

と呼びます。

 

 

④ 爾前の戒が「麤()戒」とされる理由

 

爾前を麤戒と云ひ

 

理由が続きます。

 

① 未顕真実の戒

 

👉 本当の成仏の道をまだ明かしていない

 

② 歴劫修行の戒

 

👉 気の遠くなるほど長い修行が必要

 

③ 決定性の二乗の戒

 

👉 二乗は仏になれないと決めつけている

 

つまり、

      遠回り

      救われない人がいる

      完成が遅い

 

ので、

麤(あらい)戒とされます。

 

 

⑤ 法華経の戒が「妙戒」とされる理由

 

法華経を妙戒と云ふ

 

こちらは反対です。

 

① 真実の戒

 

👉 すべての人が仏になれると説く

 

② 速疾頓成の戒

 

👉 早く、まっすぐ成仏できる

 

③ 二乗の成仏を嫌はざる戒

 

👉 二乗も必ず仏になると認める

 

つまり、

      近道

      誰も見捨てない

      即身成仏につながる

 

ので

妙戒なのです。

 

 

⑥ ポイント

 

この段で大聖人は、

 

「法華経の戒=絶対に唯一」

とは、まだ言っていません。

 

👉 「比べた上で、法華経が一番」

 

これが

相待妙の戒です。

 

⑦ たとえで言うと

 

🚶‍♂️

      爾前の戒:山道を何日も歩く

      法華経の戒:まっすぐの高速道路

 

比べて

👉 高速道路が「妙」

 

 

⑧ ひとことでまとめ

 

相待妙の戒とは、

「他の教えと比べて、法華経の戒が一番すぐれている」

と説明する立場の戒。

 

 

一言

 

「比べれば分かります。

遠回りの戒より、まっすぐ仏になる戒。

それが法華経の戒です。」

 

28日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集159

 

()戒 15/21

 

十法界明因果抄 215

 

 絶待妙の戒とは、法華経に於て別の戒無し。爾前の戒即ち法華経の戒なり。其の故は、爾前の人天の楊葉(ようよう)戒、小乗阿含経の二乗の瓦器(がき)戒、華厳・方等・般若・観経等の歴劫菩薩の金銀(こんごん)戒の行者、法華経に至りて互ひに和会(わえ)して一同と成る。所以(ゆえ)に人天の楊葉戒の人は、二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し、菩薩の金銀戒に人天の楊葉・二乗の瓦器を具す。

 

ここは十法界明因果抄の最終的な要点ともいえる大切な段です。

 

① まず結論を一文で

 

絶待妙の戒とは、

 

👉 法華経に来ると、別々だった戒の区別がすべて消える戒

 

です。

 

 

② 「別の戒無し」とはどういう意味か

 

絶待妙の戒とは、法華経に於て別の戒無し。

 

これは、

 

人天の戒

二乗の戒

菩薩の戒

 

がバラバラに存在する、という意味ではありません。

 

👉 全部が一つに含まれる

👉 法華経の中で統一される

 

という意味です。

 

 

③ なぜ「爾前の戒即ち法華経の戒」なのか

 

爾前の戒即ち法華経の戒なり。

 

これは、

 

👉 法華経は

👉 それ以前のすべての戒を

👉 否定して捨てるのではなく

👉 生かして包み込む

 

ということです。

 

 

④ たとえ話がたくさん出る理由

 

ここで大聖人は、今まで出てきた譬えを全部使って説明されます。

 

① 人天の「楊葉戒」

 

👉 子どもをあやすための、楊の葉のお金

👉 最低限の善を守る戒

 

② 二乗の「瓦器戒」

 

👉 割れやすく、小さい器

👉 自分だけ解脱する戒

 

③ 菩薩の「金銀戒」

 

👉 丈夫で価値のある器

👉 人を救おうとする戒

 

 

 

⑤ 法華経に至ると何が起きるか

 

法華経に至りて互ひに和会して一同と成る。

 

👉

      人天の戒の人も

      二乗の戒の人も

      菩薩の戒の人も

 

法華経に来ると、同じ一つの立場になる

 

つまり、

👉 成仏の可能性に差がなくなる

 

⑥ 「互いに具す」とはどういうことか

 

人天の楊葉戒の人は、二乗の瓦器・菩薩の金銀戒を具し…

 

ここが一番大事です。

 

意味をやさしく言うと

      人天の戒しか守れない人でも

👉 二乗の戒も

👉 菩薩の戒も

全部持っている

      菩薩の高い戒を持つ人も

👉 人天の戒

👉 二乗の戒

全部含んでいる

 

👉 上下の差が消える

 

 

⑦ なぜそんなことが可能なのか

 

それは、

 

👉 法華経は一念三千の教え

👉 一つの命の中に十法界が全部ある

 

からです。

 

だから、

      低い戒の人にも

      高い戒が具わり

      高い戒の人にも

      低い戒が具わる

 

 

⑧ まとめ

 

これまでの流れを整理すると、

 1. 二乗の戒 瓦器(小さい)

 2. 菩薩の戒 金銀(立派)

 3. 法華経の戒

 👉 全部を一つにする戒

 

これが

絶待妙の戒です。

 

 

⑨ まとめ

 

絶待妙の戒とは、

「できる・できない」「高い・低い」を越えて、

すべてを仏の戒に包み込む戒。

 

 

一言

 

「法華経に来ると、差別はなくなります。

小さな善も、大きな菩薩行も、

すべて仏の戒として一つになります。」

 

これで

十法界明因果抄・相待妙と絶待妙の戒の核心は一通りです。

 

29日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集160-①

 

()戒 16/21

 

主君耳入此法門免与同罪事

 

743

 

 有情(うじょう)の第一の財(たから)は命にはすぎず。此(これ)を奪ふ者は必ず三途(さんず)に堕()つ。然(しか)れば輪王は十善の始めには不殺生、仏の小乗経の始めには五戒、其の始めには不殺生、大乗梵網(ぼんもう)経の十重禁の始めには不殺生、法華経の寿量品は釈迦如来の不殺生戒の功徳に当たって候品ぞかし。

 

 

全体の意味

 

「命を大切にすること(不殺生)は、仏教のいちばん大事な根本であり、法華経・寿量品は、釈迦仏が不殺生を守り抜いた大功徳を説いた品である」

という御文です。

 

 

解説

 

有情の第一の財は命にはすぎず

 

生きているもの(人も動物も)の

**いちばん大切な宝は「命」**であり、

命より大切なものはありません。

 

 

此を奪ふ者は必ず三途に堕つ

 

その命をうばう人は、必ず三悪道

(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちてしまいます。

 

👉 命を軽んじる行いは、それほど重い罪だということです。

 

 

然れば輪王は十善の始めには不殺生

 

昔、正しい政治をする理想の王(輪王)は、

**十善(よい行い)の第一に「不殺生」**を置きました。

 

👉 国を治める上でも、

「命を奪わない」ことが最優先だったのです。

 

 

仏の小乗経の始めには五戒、其の始めには不殺生

 

お釈迦様の初期の教え(小乗経)では、

守るべき五戒がありますが、

その第一も不殺生です。

 

 

大乗梵網経の十重禁の始めには不殺生

 

さらに深い大乗仏教(梵網経)でも、

十の重い戒めの一番最初が不殺生です。

 

👉 どんな仏教でも

「命を奪わない」ことが最初で一番大切なのです。

 

 

⑥(ここが一番大事)

法華経の寿量品は釈迦如来の不殺生戒の功徳に当たって候品ぞかし

 

法華経の寿量品は、

釈迦如来が不殺生の戒を守り抜いた大功徳によって、

久遠から仏であったことを明かした品なのです。

 

👉

寿量品=

「命を尊び、命を救い続けた功徳の結果として、

 仏のいのちは無限である」と示した教え。

 

 

まとめ(信心の要点)

      命は最高の宝

      不殺生は

         世の政治

         初期仏教

         大乗仏教

         そして法華経

👉 すべてに共通する第一の教え

      寿量品は

釈迦仏が命を守り続けた功徳の結晶

 

だから私たち法華講の信心は、

題目を唱え、人の命と幸せを守る生き方そのものなのです。

 

30日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集160-②

 

()戒 16/21

 

主君耳入此法門免与同罪事

 

743(12/29参照)

 

 

なぜ寿量品が不殺生の功徳になるのか?

 

 

結論

 

寿量品が不殺生の功徳になる理由は、

「人の命を奪わなかったから長く生きた」という話ではなく、

「一切衆生の命を救い続けた大慈悲の行いの結果、

仏の生命が久遠にわたって成就した」ことを明かす品だからです。

 

 

① 不殺生とは「殺さない」だけではない

 

普通は

「殺さない=不殺生」

と思いがちですが、仏教ではそれだけでは足りません。

 

仏教の不殺生の本当の意味

      命を奪わない

      命を守る

      命を生かす

      命を仏の道へ導く

 

👉 命を仏に成らせる行いまで含めて不殺生です。

 

 

② 釈迦仏の一番の不殺生の行いとは何か

 

釈迦如来は、久遠の昔から

      衆生を見捨てず

      迷いの世界に何度も現れ

      命を救い続けてきた

 

と寿量品で説かれます。

 

「常に此の娑婆世界に在って法を説く」

 

これは

一人も見殺しにしない

という仏の誓いの表れです。

 

 

 

③ なぜそれが「寿量(いのちが無量)」になるのか

 

ここが一番大事です。

 

原因と結果の道理

      因(原因):

久遠より衆生の命を救い続けた(究極の不殺生)

      果(結果):

仏の生命は尽きることがない(寿量無辺)

 

👉

命を守り続けた因が、無限の生命という果を生んだ

 

これが

「寿量品は不殺生戒の功徳に当たる」

という意味です。

 

 

④ 寿量品は「殺さない仏」ではなく「成仏させる仏」

 

寿量品の釈迦仏は、

      ただ生き延びている仏

      長生きしている仏

 

ではありません。

 

寿量品の仏の姿

      衆生を仏に成らせるまで見捨てない

      迷いの世界に自ら入って導く

      南無妙法蓮華経を説き続ける

 

👉

命を仏の生命に高めることこそ、最高の不殺生なのです。

 

 

⑤ 私たちとの関係(末法の実践)

 

末法の今、私たちができる不殺生は何か。

 

それは

      南無妙法蓮華経と唱える

      人にも勧める(弘教〈ぐきょう〉)

 

です。

 

👉 題目を教えることは

人の命を「迷いの命」から「仏の命」へ生かす行い。

 

これが

寿量品と同じ不殺生の功徳になります。

 

 

まとめ

 

寿量品が不殺生の功徳といわれるのは、

釈迦如来が久遠より一切衆生の命を救い、

仏に成らせ続けてきた大慈悲の結果、

仏の生命が無量となったことを明かす品だからです。

私たちが題目を唱え、弘教することも、

同じ不殺生の実践なのです。

 

文上義で、釈尊(釈迦如来)と説明してます。

文底義は、久遠元初の仏(宗祖日蓮大聖人)です。

31日

 

 日蓮大聖人御金言義類別入文集160-③

 

()戒 16/21

 

主君耳入此法門免与同罪事

 

743(12/29参照)

 

 

  なぜ弘教しないことが命を救わないことになるのか?

 

――を、誤解のないように、順序立てて説明します。

 

結論を先に

 

弘教しないことが「命を救わない」ことになるとは、

物理的な命の話ではなく、

“仏に成れる命を眠らせたままにする”という意味です。

 

① 仏教でいう「命を救う」とは何か

 

世間では

      命を助ける=死なせないこと

 

ですが、仏法ではもっと深い意味があります。

 

仏法の「救命」

      迷いの命 覚りの命へ

      苦しみの命 仏の命へ

      輪廻の命 成仏の命へ

 

👉 成仏させることが、究極の救命です。

 

 

② では「殺生」とは何か

 

仏法では殺生も、

単に肉体を殺すことだけではありません。

 

仏法の殺生の広い意味

      命を奪う

      命を苦しめる

      命を迷わせたまま放置する

 

👉 仏に成れる命を閉ざすことも、広い意味での殺生と説かれます。

 

 

③ 弘教とは何をしている行いか

 

弘教(ぐきょう)とは、

      南無妙法蓮華経を教える

      仏に成れる道があると知らせる

      希望の法を耳に入れる

 

つまり、

 

👉 命に「仏になれる可能性」を吹き込む行いです。

 

 

④ なぜ弘教しないと「命を救わない」ことになるのか

 

もし私たちが、

      正しい仏法を知っていながら

      周りの人が苦しんでいるのを見ながら

      何も伝えなかったら

 

その人は、

      迷いの命のまま

      成仏の道を知らず

      苦しみを繰り返します。

 

👉 救える命を、救わずに終わる

これが「命を救わない」という意味です。

 

 

⑤ これは責めの教えではない

 

とても大切な点です。

 

日蓮大聖人は、

      無理に言え

      叱りつけよ

 

とは仰っていません。

 

正しい弘教とは

      相手を思う心から

      時と縁を見て

      自分も題目を唱えながら

 

行うものです。

 

👉 できる範囲で、真心からでよいのです。

 

 

⑥ 寿量品とのつながり

 

寿量品の釈迦仏は、

      衆生を見捨てず

      常にこの娑婆世界に在って

      法を説き続ける

 

と明かされます。

 

👉

仏が久遠に生き続ける理由=

一人も命を見捨てない誓い(究極の弘教)

 

だから、

      弘教する=寿量品の仏の行い

      弘教しない=仏の救命の流れに乗らない

 

と教学上つながるのです。

 

 

まとめ

 

弘教しないことが「命を救わない」とは、

人の体の命を奪うという意味ではなく、

仏に成れる命を目覚めさせずに終わることです。

弘教とは、命を仏の命へ生かす、

 

最高の不殺生なのです。