如医善方便 為治狂子故 実在而言死 無能説虚妄

我亦為世父 救諸苦患者

為凡夫顛倒 実在而言滅 以常見我故 而生撟恣心

放逸著五欲 堕於悪道中 我常知衆生 行道不行道

随応所可度 為説種種法

 

 

 

 

これは『法華経』寿量品の中でも、とても大切な譬えの部分、「良医と狂子(りょういときょうし)」のたとえの続きです。

 

 

原文と現代語訳・解説

 

如医善方便 為治狂子故

 

現代語訳:

よい医者は、心を狂わせた子どもを治すために、うまく手段を使います。

 

解説:

この「医者」は仏さま、「狂った子ども」は私たち迷いの衆生をさしています。

仏さまは、私たちを救うために、さまざまな“方便”(仮の教え)を使うのです。

 

 

実在而言死 無能説虚妄

 

現代語訳:

本当は生きているのに、「自分は死んだ」と言って、子どもたちに信じさせる。

でも、それは嘘ではないのです。

 

解説:

これは、仏さまが「自分はもう涅槃(ねはん=亡くなった状態)に入った」と仮に言うことがありますが、それは迷いの衆生を救うための手段で、真実を導くための“慈悲の方便”です。嘘とは違うのです。

 

 

我亦為世父 救諸苦患者

 

現代語訳:

私は世の中の父のようなもので、苦しんでいる人たちを救うためにいる。

 

解説:

仏さまは、すべての人々を子どものように思い、親のような心で救おうとしています。

 

 

為凡夫顛倒 実在而言滅

 

現代語訳:

迷っている凡夫たちのために、私は本当は生きているのに、「亡くなった」と言う。

 

解説:

凡夫(私たち)は、仏さまがいつもそばにいると油断して、感謝や修行を怠りがち。

そこで仏さまはあえて、「もういない」と言って、私たちの心を奮い立たせるのです。

 

 

以常見我故 而生撟恣心

 

現代語訳:

仏がいつも見えていると、人は勝手気ままな心になってしまう。

 

解説:

「どうせ仏さまはいつでもそばにいる」と思うと、人は真剣にならず、自分勝手になりやすい。

だから仏さまは、あえて姿を隠して私たちに「仏に会いたい」「正しく生きよう」と思わせるのです。

 

 

放逸著五欲 堕於悪道中

 

現代語訳:

欲にまかせて生き、地獄などの悪い世界に落ちてしまう。

 

解説:

「五欲」とは、財産・色欲・食欲・名誉・睡眠のこと。

これらに執着して生きると、人生を台無しにし、悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちてしまいます。

 

 

我常知衆生 行道不行道

 

現代語訳:

私はいつも、人々が正しい道を歩んでいるか、それとも迷っているかを見ている。

 

解説:

仏さまは、私たちが正しく信仰しているか、それとも迷いの中にいるかを、いつも見守っています。

 

 

随応所可度 為説種種法

 

現代語訳:

それぞれの人に合った方法で、いろいろな教えを説いて救っていく。

 

解説:

仏さまは、一人ひとりの性格や状況に応じて、最もふさわしい教えを説いて、悟りの道へ導いてくださいます。

 

 

日蓮正宗の信仰と結びつけて

 

この部分の教えは、**「常に生きておられる本仏(ほんぶつ)」**の姿を示しています。

仏さまは決して亡くなったのではなく、私たちを救うために姿を隠し、時に「滅度した」と言って私たちの信心を奮い立たせるのです。

 

日蓮大聖人は、この本仏釈尊の真意を「文底の真実」として明かされ、「南無妙法蓮華経」と唱えることで、誰もがこの本仏とつながり、成仏できる道を開かれたのです。